mement0_m0riの日記

籠村アスカ @ou9d_

#mementmori ご都合主義の電化製品

人は自分自身を守って生きていかなきゃいけない。そして人はその手段として時には誰かを、自分自身ですらを傷つけることがある。矛盾に満ちすぎている生き物だ。人は人に優しくすることがある。ある状況を目にして胸がザワザワして、これを通り過ぎようとしている自分にいても立ってもいられなくなる。そして仕方なく手を貸し、これは「自らの善意」だ、「私自身の特性だ」と判断する。これは本当にお前らが「優しいから」じゃない。自分自身を守るために時には自分や他人を傷つけてしまう罪悪感から逃れたいために、潜在意識が作り出した新たな潜在意識だ。お前らは、私だって根っから優しい青年なんかじゃない。非常にご都合主義の製品だ。

#mementmori お前が死んでくれないか

私は端的に言うと早急に死んだ方がいい人間だ。生まれた時から備わってる小さい脳味噌の一部の欠落のせいでどれほど気をつけても持ち前の知性の低さと衝動性で人を不愉快な気持ちにさせる。どれほど本を読もうと知能はいつまでも低い。クソがよ。さて、人間は脳味噌の一部が損壊している場合、その欠落部分の穴埋めをすることにのみ特化してフル稼働する傾向がある。壊れたぬいぐるみに即席でティッシュを丸めた自称「綿」を詰めるようなものだろう。それは有難いことに私の脳味噌もそうであったらしい。そして私のそれは多分、「健常な人間に比べて非常に神経質になる」という方法で稼働したらしい。つまり私は人をすぐ不愉快にさせる癖に、些細なことで他者からの攻撃性を感じて塞ぎ込む癖がある、という人格になった。これが人間として普遍的な文化生活を送るのにどれほど不便を要するかを想像するのは容易いだろう。そしてこの世界は、この社会は馴染もうと身を粉にするほどの多大な努力をするに値するだろうか?否、しないだろう。ここまで自己分析が出来ているのだからさっさと死ぬほうがコスパが良い。

 

さて、ここである疑問が生まれる。何故、私が死ななきゃならないんだ?私は産まれる前に神に「障害持ちでいいので人間にしてください」と頼んだ記憶は無い。無神論者だし。それに私はここまで自らの社会部適応性を悟っていながら、それでもあの人に恩返しをしなきゃ、あの人に迷惑をかけられないと常に思考し努力(当社比)を怠ったこともない。(これも当社比)私は、私をこうになるまで社会の隅、見えない檻の中へ放り去ったクソ野郎の正体を私自身だとは思っていない。だから私が死ぬのは1番早いが割には合わない。出来れば最終手段に残しておきたい。だからお前らが、死んでくれないか?お前らって誰だろう、無生物かもしれない、概念かもしれない。この際なんでもいい、お前らが、死んでくれないか?